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最大の戦犯は瀬島龍三ではないか

先週の「ビーバップ・ハイヒール」の特集は「学校では教えてくれない! 名もなき男の終戦」でした。かしこブレーンは河合敦先生。

ポツダム宣言の受諾に奔走した内閣書記官長・迫水久常(さこみず ひさつね)、玉音放送を実現させた下村宏(情報局総裁)・・・など私の知らないことばかりでした。

中でも最も衝撃的だったのは、ヤルタ密約をつかんだ小野寺信(まこと)の物語でした。

彼は1941年にストックホルムに着任。彼の任務は諜報活動。小野寺は収集した極秘情報を参謀本部に電報で送信していました。1945年2月のある夜、親交のあったポーランド人の情報士官よりヤルタ密約の情報を得ます。

ポーランド(連合国)と日本は敵対する関係にありましたが、亡命を余儀なくされた政府の要人たちを小野寺は手厚く援助。国家間の枠を超えて固い絆を築いていたのでした。

ヤルタ密約とは・・・「ソ連は、ドイツ降伏より90日後に連合国に与し、日本に参戦する」というもの。

有力な情報ということで参謀本部に送信し、対応を待ちました。

小野寺の主張はこうです・・・「ソ連参戦までに戦争を終結すべき」

そうこうするうちに1945年5月8日ドイツが降伏しました。

密約通りなら3か月後の8月8日以降にソ連は侵攻を開始するのです。

しかし、待てども待てども返事は来ません。小野寺は一人動き出します。

助けを求めたのはスエーデン王室。外交官でもない彼が交渉したのは異例中の異例。

そんな中、6月24日にようやく参謀本部から電報が届きました。その内容はこうでした。

「帝国は必勝の信念をもって戦争を続行する決意を有することは、貴官も承知のはずなり。しかるところ、最近ストックホルムに於いて中央の方針に反し、和平工作をするものあるやの情報なり。」

小野寺の電報を無視し、批判する内容でした


番組の中では、「日本は1941年日ソ中立条約を結んでおり、ソ連が侵攻してくるはずがないと考えられていた。参謀本部は和平の仲介をソ連にしてもらうつもりでいた」と言っていました。

小野寺の送った情報は「不都合な真実」でしかなく、握りつぶされていた・・・・。

そして、ドイツ降伏から90日が経過。

8月9日未明、ソ連の宣戦布告。侵攻を開始します。

小野寺の情報を信じて和平交渉がなされていたら、日本各地で起きた空襲、沖縄戦、原爆投下、シベリア抑留、北方領土問題、中国残留孤児などの悲劇を生まなかったかもしれません。

番組の中で江川達也がこれを放送するというのはスクープだと称賛しました。きっとタブーなんでしょうね。

ただ、この情報を握りつぶしたのが誰かを言いませんでした。いろいろ調べましたが、確率的に高いのが瀬島龍三という人物です。

この方、2007年に95歳で亡くなっています。戦後は伊藤忠に入って経済界でも活躍したそうなのですが、ソ連との関係が親密でシベリア抑留者を差し出した疑惑まで持たれています。

http://d.hatena.ne.jp/sankeiaidokusya/20120903


瀬島批判をした本は彼の存命中に書かれたものもありますが、この小野寺氏のことに関しては「諜報の神様と呼ばれた男」や「消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦い 」(いずれも岡部伸・著)という本が出ています。

まあ、日本にA級戦犯などいないとよく保守派の方々がおっしゃいますが、小野寺氏の情報を握りつぶした参謀本部の連中はウルトラ戦犯と言わざるを得ませんね。

衝撃的過ぎて、腹わたが煮えくり返りました。










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